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2015/5 bR60 徘徊漫歩 17
鬼房語録「咬ませ犬」
阿 部 流 水
鬼房の話しぶりには、鬼房俳句の表現に通じるような強い個性が滲んでいた。訥弁
ながら、ワンフレーズで核心を突く話し方をする。俳句に対する確固たる信念や情熱
に裏打ちされているからだ。低音のややくぐもった声で話す鬼房語録の断片には、時
に独創的な表現の面白さを感じた。
ある時、俳句交友の思い出話になって「若いころはこの鬼房、俳壇における咬ませ
犬のような存在だった」と自ら述懐した(自分のことを「鬼房は」という言い方をするの
が常だった)。〈咬ませ犬〉とは闘犬用語からきた俗語。広辞苑には「主役を引き立て
るため、一方的に負ける役目の者をいう」とある。だが私は〈咬みつかれて一方的に
負ける〉というよりも〈吠えかかって相手の闘魂を呼び覚ます〉というニュアンスで受け
取った。それにしても〈咬ませ犬〉とは奇抜な例えだと思い、おかしかった。鬼房は問
題提起型なのだ。
一例として、鬼房は「天狼」における永田耕衣との俳句論争を挙げた。どういう論争
だったのか内容までは話さなかったが、なんでもその論争がもとで、天狼同人だった
耕衣は「天狼」を脱退したと言った。「天狼」は西東三鬼がリーダーとなって山口誓子
を主宰に据え、昭和23年に創刊。耕衣も三鬼に推されて同人となっていた。鬼房は
誓子選の「遠星集」に投句のほか評論やエッセーを書くなどしていた。同人となるの
は30年になってから。鬼房年譜によると27年、「天狼」に「天狼批判」「耕衣ノート」を
書いたとある。一方、「永田耕衣俳句集成・而今」の耕衣年譜によると、「昭和28年
10月、或る明確な理由で『天狼』を脱退、終始三鬼の怒りを浴びることになった」とあ
る。詳細は聞きはぐったが、どうもこのころの出来事だったらしい。
当時は〈根源俳句〉が「天狼」創刊以来の合言葉になっていた。しかし、肝心の〈根
源俳句〉とは何かとなると定かではなかった。このため、〈根源俳句〉をめぐって俳人
諸家の解釈はまちまちの状態にあり、俳壇的論争が巻き起こっていた。「実在の真
実に観入する俳句のことだ」(三鬼)、「俳句的骨格の探求だ」(平畑静塔)などの主張
がある一方、禅に親しんでいた耕衣は「東洋的無の世界だ」と主張した。山本健吉は
「存在の根源を追及する『根源精神』によって貫かれた句」と定義して耕衣の〈恋猫の
恋する猫で押し通す〉を代表的な句だとした。耕衣は阪神淡路大震災のとき、トイレ
に閉じ込められたが、奇跡的に救出され〈白梅や天没地没虚空没〉の句を残した。
〈夢の世に葱を作りて寂しさよ〉〈かたつむりつるめば肉の食い入るや〉などの句でも
知られている。
耕衣の俳句が禅とかかわりが深いことは知っていたし、私も興味を惹かれるところ
があったので、耕衣の俳句や禅についてもっと聞きたいと思った。だが鬼房は「禅に
ついては生半可な知識で話せば野狐禅になってしまうから、これ以上は話さない」と
言ってこの話は打ち切りとなった。
〈咬ませ犬〉から〈根源俳句〉へと、つい深入りしてしまった。鬼房語録には断片とい
えども俳句にかかわる広大にして深いバックグラウンドがあってのことだと知れよう。
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