小 熊 座 2015/8   bR63  徘徊漫歩20
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     2015/8  bR63   徘徊漫歩 20


               涌谷の鬼房句碑

                                     阿 部 流 水


   〈陰に生る麦尊けれ青山河〉の鬼房句碑が昭和62年、宮城県涌谷町の城山公園

 に建立された。9月には現地で除幕式が行われた。その春、私は一関に転勤してい

 たが、式に付き合い、写真撮りをした。イベント俳句や売名行為を嫌っていた鬼房だ

 が、句碑建立はよほど嬉しかったらしい。句碑用の筆跡を吟味して入念に準備する

 姿を見かけたこともあった。同町では昭和59年から毎年「奥州涌谷金俳句大会」を

 開き、実行委員会が涌谷町ゆかりの俳人や大会選者の句碑を建立していた。鬼房

 句碑も実行委員会が建てたものだ。

  除幕式は秋晴の好天に恵まれ、鬼房夫人や鬼房の子女、子息も参列して和やか

 な雰囲気だった。式が終わって鬼房と言葉を交わした時のこと、「句碑にしてもよい

 句だと自分自身思っている。『尊けれ』がいまひとつ何とかならないかと考えてみたが

 どうしても代わる言葉がない。まあ、しょうがないかというところだ」。鬼房はこういう趣

 旨の述懐をした。私は「おやっ」と思った。ずっと前に発表して既に世間の評価を得て

 いる作品である。長い間そういう思いを抱いて添削したいと思案していたとは…。形

 容詞は避けたかったのだろうが、俳句に賭ける執念を垣間見た気がした。

  句碑の立つ城山公園は伊達藩涌谷城の跡で、小高い丘陵の上にある。眼下に江

 合川の眺めを一望出来る桜の名所である。江合川左岸の河川敷では、桜まつりのメ

 ーンイベント東北輓馬大会が毎年開かれる。私は登米郡(現登米市)に昭和52年か

 ら4年間転勤中だった時、仙台の自宅へ行き来しながらよく立ち寄ったので、馴染み

 深い場所だ。句碑は天守台風の建物・歴史資料館の前にどっしりと陣取り、骨太の

 鬼房俳句にふさわしい風格がある。緑豊かな公園の周囲には田園風景が広がり、青

 山河の句にぴったりの環境である。

  涌谷町は天平時代に金を産出し、朝廷に献上した歴史があり、〈すめろぎの御代栄

 えむとあづまなる陸奥山にくがね花咲く 大伴家持〉と詠われた。その他歴史的名所

 が多く、そういう場所には詩歌を碑に刻んで設置しているのが特徴だ。黄金山神社・

 万葉の里には、〈みな旅人年改まる旧山河 永野孫柳〉のほか、石崎素秋の句碑が

 ある。篦岳山には奈良時代創建の天台宗古刹・崑峰寺があり、〈雪の上また降る雪

 や青木の実 遠藤吾逸〉のほか門脇白風、山田穣二らの句碑が建つ。見龍寺には、

 〈ある時は雀躍として蝉の声 阿部みどり女〉のほかに、八木沢高原の句碑がある。

  さらに滝沢寺には、涌谷出身の詩人・沢重人(本名鈴木市郎)の詩碑「さるすべり咲

 く」をはじめ、渡辺乃梨子らの句碑や歌碑が立っている。沢重人については「小熊座」

 昭和62年9月号に鬼房が書いている。7月の詩碑除幕式でスピーチを頼まれ、沢重

 人の詩想について話そうと思ってまとめた文章である。沢重人が一時は俳句を作っ

 ていたこと、吉岡実の詩に対する関心は鬼房と共通していたこと、北辺の地霊的なイ

 メージに特徴があることなどを列挙している。沢重人を語りながら自ずと鬼房自身を

 語っている文章であった。





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