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2015/10 bR65 徘徊漫歩 22
ヒューマニズム
阿 部 流 水
前回、弱者の視点について書いたが、賤民や蝦夷、貧困層などの視点に立つとい
うことは、鬼房の場合、底辺に生きる者として卑下するどころか、人間としての尊厳や
矜持を重んじることにつながっている。弱者が社会の底辺で生きることはさまざまな
辛酸を伴うものだが、鬼房にあっては、その実態と実感に真正面から誠実に向き合
いながら、弱者の生活と内面を俳句に表現することで苦しみからの解放と人間性の
回復に向かう。 弱者を弱者として終わらせず、一個人としては自由で解放された存
在、強く生きる存在として高められている。
人間に対する優しさや愛情がなければ、弱者の視点に立つことは出来ない。弱者
の視点には人間愛が伴う。鬼房と話し、鬼房の俳句や文章を読むようになった昭和
60年頃、私が強く感じたのは(鬼房という俳人は人間に対する優しさや愛情が何て
深いのだろう。俳句にもそれは表れている)ということだった。鬼房の俳句はヒューマ
ニズムの文学だと思った。俳壇の動向を話題にした時、鬼房は次のように言った。か
つて人間性の回復や社会性俳句が盛んに言われた時がある。それは現在の俳壇で
も重要な課題であることに変わりはないと。
一口にヒューマニズムと言っても意味内容がいろいろある。歴史的には人文主義
(人本主義)と訳されるものから、人道主義と訳されるものへと進化したと言える。人
文主義では、中世的な宗教的世界観の束縛からの解放を求めた。ルネサンスの時
代であり、人間尊重の芸術・文化が花開いた。一方の人道主義では、トルストイに代
表されるような人間尊重と人間愛の立場から人類全体の幸福をはかろうとする。さら
に第二次世界大戦後は、社会主義的ヒューマニズムや実存主義的ヒューマニズムが
主張された。現代では、非人間的なまでに進歩した科学や経済から人間性を守るヒ
ューマニズムも出てきた。鬼房の場合、社会性俳句の頃は社会主義に近かったであ
ろうが、昭和六〇年当時、私の質問に答えて「社会主義ではない」とはっきり否定し
た。実存主義的ヒューマニズムが最も近いと私は捉えている。
作家は、処女作に特質のすべてが萌芽し、以後の軌跡が暗示されていると言われ
る。鬼房の場合も第一句集『名もなき日夜』に弱者の視点もヒューマニズムの特質も
顕著である。特に〈虜愁記〉と銘打った作品には、残虐な戦場にあって人間性や人間
愛を失うまいとする思いが溢れている。〈夕焼けに遺書のつたなく死ににけり〉〈濛濛
と数万の蝶見つつ斃る〉〈ぬかるみに月さし獣めく寝息〉…これらの俳句に私は感動
した。〈呼び名欲しわが前に立つ夜の娼婦〉はヒューマニズムの代表句だろう。鈴木
六林男はこの句集に「跋」を寄せて「彼の過去を基盤として、すべてを愛に帰結せし
めている」と書いている。鬼房は幼少時の逆境と戦場生活の果てに愛を身上として得
たというのだ。至言といえよう。
愛という言葉は容易に使いこなせないものだが、鬼房は俳句によく詠み込んだ。
〈白服のよごれや愛を疑はず〉〈青年へ愛なき冬木日曇る〉〈春蘭に木もれ陽斯かる
愛もあり〉〈愛痛きまで雷鳴の蒼樹なり〉…。『消せぬ詩を』(エッセイ集「片葉の葦」)と
いう文章では「日常身辺の歌を通して、市民の、民衆の、社会の、この国土につなが
る愛を歌いたい」と宣言している。
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