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2015/11 bR66 徘徊漫歩 23
前 衛 意 識
阿 部 流 水
「昨日の自分に飽く。絶えざる自己変革を」というのが、鬼房の信条だった。新興俳
句、社会性俳句などに深くかかわってきた鬼房だが、そうした主張や時流にいつまで
もこだわるのは良くないとも言った。常に俳句の前線、前衛を目指しているということ
であり、その前衛意識は俳句表現とともに自己改革にも向けられている。優れた芸
術家は生活自体が芸術的であって、別々のものとして分けられないとも言えるだろう
が、鬼房にも当てはまるように思った。鬼房は若くして俳句のプロ作家を目指し、就
職も生活の中心も俳句を第一に考えて努力するといった生涯を貫いた人だった。
鬼房が前衛意識を大切にしていることは、個人的に話をしていても句会の場でも何
度か聞いた。けれども、訥弁で言葉少ない鬼房はボソリと一言だけ口にするという風
で、詳しい話はしない。いつも核心をズバリ言うけれども、あとは自分で考えなさいと
でも言っているような話し方だった。文章でも鬼房は自分の考え、感想などは結論を
端的に述べ、確信的で断乎としている。しかし、説明や解説はあまり加えない。
「いつの世にも、時代が前衛を要請する。/酬われ難い前衛。殆ど犠牲の上になり
立つ前衛の、しかしながら、入れかわり立ちかわり、心ある青年の誰彼が、俳句型式
の可能性を求め、前衛をゆく。ごく僅かながら、その悲壮な個や集団の在りようは、
たぐいなく美しい。そしてまた哀しくもある。/栄光などは無い。挫折と試行のくりかえ
しの中で、青春が燃え、燃えつづき、燃え尽きる。何のために――。/何のためにで
もない。ひたすら、自己の唯一の表現型式を納得するためにだ。/前衛は、つねに
新陳代謝する。前衛はばけもののように長生きはしない。/前衛は、つねに、いくば
くかの名声、あるいは何がしかの認知を得た瞬間消滅する。/前衛は普遍をさえ拒
否する。けれども、一つの前衛が消滅しても、その前衛が求めようとした何かがいま
私たちのまわりの俳句に宿り生きている。それは、もはや『前衛』の名においてでは
ない。/そして、ごく少数を除いて、殆どのものは、その前衛が遺したもの、前衛の恩
恵など感じることもない。また、それでいいのである。」
これは鬼房の俳句評論集『沖の石』から引用した「前衛」と題する一文。『沖の石』
は、鬼房が所属していた俳誌「天狼」に昭和四七年から九年間連載執筆した「一の沢
雑記」をまとめた本で、「前衛」の文章は昭和五六年三月号に掲載された。
散文詩と言っていい、この詩的な文章には、前衛意識に対する鬼房の思いが存分
に述べられている。見事な文章なので、引用が少々長くなってしまった。続きがある。
「私はこれからも、つとめて、前衛的な表現を求めるものたちに目を注いでゆく。私に
は殆ど理解しがたいものであっても、彼らが懸命に求めようとする、思いの真実に無
関心ではいられない。」と前置きして、四人の俳人の句集に言及し、四、五句ずつ引
用している。
句会でも鬼房は、失敗作に対してさえ素材やテーマの新しさや表現の新しい試みに
は好意的だった。激励の講評を加え、実験作を大いに推奨するのが常だった。その
当時はピンと来なかったものの、鬼房の死後、この文章を読んで腑に落ちたのだっ
た。
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