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2019/2 №405 小熊座の好句 高野ムツオ
冬の大三角イースト菌はパンの中 日下 節子
「冬の大三角」は冬の星座を見つける目安の三つ星。三角形のそれぞれ頂点をな
すので、こう呼ばれる。オリオン座のベテルギウス、その左下のおおいぬ座のシリウ
ス、そして、ベテルギウスの左にあるこいぬ座のプロキオン。オリオンの三つ星や天
狼の別名があるシリウスは季語となっているが、冬の大三角は季語ではないようだ。
手元の歳時記では冬の星の傍題にもなっていない。季語にこだわることもないが、冬
の季節感は十分ある。この句は、その壮大な星の三角形と今、パンの中で発酵中の
イースト菌とを対比させたものだ。イースト菌はもともとは日本酒や葡萄酒などの醸
造に関する酵母菌を指していたが、近年は多様な種類を指す。パンのイースト菌は
パン生地の中で小麦粉を食べ糖を分解し、炭酸ガスを発生させる。それでパンが膨
らむのだ。細胞の大きさは一個が五ミクロン程度。つまり、パン生地の中で、ミクロ
だが厖大な増殖活動が行われていることになる。その営みを冬空を代表する三つの
星の神が見守っているのである。
藁の香や旅より戻る疣の神 阿部 菁女
「新藁」や「今年藁」は季語だが、「藁」だけでは季語にならない。「神迎え」や「神還
る」という季語があるので、その変形と捉え、出雲帰りの神を詠った句として鑑賞する
のが自然だろう。だが、私にはこの神の姿はヤマト王権の神に住いを追われ放浪の
旅を強いられた、在来神の姿が思われる。千年以上の流竄の末、ようやく元の住処
に戻ることができた神を迎えるために藁が匂い立つのだ。
疣取りは、どこにもあった素朴な信仰。信仰というより信心が生んだ祈りの形態で
ある。傷病すべて神に祈る以外手立てがなかった古代、石も木もすべてに神が宿っ
ていた。疣の神は、その原初の痕跡の一つでもある。この句は大崎市岩出山の田の
隅に鎮座する荒脛巾神社での作だが、目や耳の治癒祈願であろう、穴の空いたたく
さんの小石が供えられている。
共に歳越さむと抱きぬシクラメン 増田 陽一
「シクラメン」は春の花で春の季語。しかし、温室など栽培方法が進んだ今日では、
冬の花との印象が強い。かわいそうにクリスマスを過ぎると見向きもされずベランダ
や飾り棚でしょんぼりしている場面をよく見かける。そんな冬咲のシクラメンを共に年
を越そうと抱きかかえ部屋に招き入れたというわけだ。ソロモン王が王冠のデザイン
になってほしいとさまざまな花と交渉するが、すべて断られる。最後にシクラメンにだ
け承知してもらう。そこで感謝の言葉を伝えると恥ずかしさと嬉しさのあまりシクラメン
が俯いてしまった。花の姿にまつわる伝説だ。作者にとってシクラメンは誰か。それ
は読者の想像に任せることにしたい。
その外で起きてゐること聖樹の灯 瀨古 篤丸
一読、三年前のパリの同時多発テロを思い出した。それ以後にベルリンでクリスマ
スマーケットを襲ったテロが起きている。昨年の冬、フランス東部でもあったという。戦
争は平和と幸福を祈る、その場と時間とを共有している。
牛小屋とフレコンバッグ十二月 丸山みづほ
杖置きて冬浮雲に乗り遊ぶ 岡田 明子
冬晴れの宿木という無重力 森 青萄
枯羊歯や星万にして重ならず 樫本 由貴
絡みあうコンセントたちクリスマス 菅原はなめ
我が細胞は入れ替わるらし冬の星 小笠原祐子
襤褸市の値札のつかぬ空あをし 小田島 渚
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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